ひょうご労働図書館では、ビジネス・労働関係の書籍・資料や雑誌等を多数所蔵しています。どなたでもお気軽にご利用ください。

沿革

ひょうご労働図書館 開館の経緯

平成11年度末をもって、旧兵庫県立労働経済研究所(以下「旧研究所」という)が廃止されることに伴い、兵庫県において、旧研究所が所蔵していた図書及び資料の活用方策が検討された。

その結果、旧研究所の資産を広く県民に活用してもらうとともに、これからの新しい働き方など労働分野に関する情報発信拠点となる全国でも珍しい労働分野の専門図書館として、平成12年度に「ひょうご労働図書館」を設立することが決定された。

平成12年度初頭から、旧研究所の施設の改装及び設備の設置を行い、平成12年7月28日に開館した。

労働経済研究所 ※ひょうご労働図書館の前身

昭和22年7月 兵庫県立労働研究所開設

旧兵庫県立労働経済研究所(以下「旧研究所」という)は、昭和22年7月12日 兵庫県立労働研究所として設立された。
その設置目的は、労働問題の調査・研究及び労働教育の普及をはかり、労・使及び一般県民の労働問題に対する正しい知識の向上に資することであった。

所在地は、神戸市生田区(現中央区)相生町1丁目27(神戸公共職業安定所内)である。
7月12日の開所式の挨拶で、岸田幸雄知事は「終戦後日本再建にあたり労働問題の重大性にかんがみ」「県下の労働情勢に即応し、産業の民主化・経済の再建に貢献致したい」と、その設立の趣旨を述べた。
全国に類を見ないこの研究所開設のニュースは、新聞・ラジオで全国に報道された。

神戸新聞記事掲載(昭和22年7月11日)【縣立労働研究所いよいよあす開所式】

再建日本の重大課題たる労働問題の研究、調査、労働教育の積極的活動により健全な労働組合の発展を期するため兵庫縣では全国にさきがけて縣立労働研究所の設立準備を急いでいたが、いよいよ12日午前10時から神戸市生田区相生町1丁目神戸公共職業安定所内の同研究所講堂で関係者200名を招待して開所式を挙行、力強く発足することになった。同研究所の陣容は所長事務取扱谷本労働部長のほか研究員 6名、主事 2名、助手10名、その他若干名、130万円の予算で労働学校、労働図書館の経営、労働問題の研究調査、労働関係統計の集成、労働関係資料等の刊行をする。なお開所式に引続き13日午後1時から縣労委員長代理原田修一氏の講演、市交通局音楽團、三菱造船ブラスバンドの職場音楽、14日午後1時労働組合選抜弁論大会、大丸合唱團、川崎車輛軽音楽團の職場音楽のプログラムで記念行事を催す。

事業内容

  1. 労働問題の研究・調査及びその発表
  2. 各種労働統計の作成
  3. 労働学校の経営
  4. 労働図書館の経営
  5. 労働問題に関する講演会、研究会、座談会等の開催
  6. 『兵庫県労働時報』その他パンフレット、リーフレットによる研究発表及び情報・資料等の提供
  7. 労働クラブの経営
  8. その他労働文化向上に関する事業

施設・機構等

  • 施設
    神戸公共職業安定所(3、4、5階)所長室、事務室、所員室各1、大講堂(300人収容)1、教室2、会議室2、研究室3、図書館(書庫、閲覧室)
  • 機構
    研究室(法律、経済、文化の3室)、庶務課、教育課、調査課、図書課、資料室
  • 職員
    研究員6名、助手10名、主事8名、嘱託10名、所長以下計35名
  • 運営
    研究所の運営の基本方針は、労働者側代表・使用者側代表・学識経験者各5名の三者構成による運営委員会(会長・汐見三郎京大名誉教授)が決定した。

歴史

この当時の所員には、その後、学界・労働界で大いに活躍する内山達四郎(元総評副事務局長)、海道進(元神戸大教授)、久保敬治(元神戸大教授)、真田哲郎(元立命館大教授)、服部正(元大阪府立社会事業短大学長)、細野武男(元立命館大総長)、山本開作(元大阪市大教授)らがいた。

  • 昭和22年10月
    『兵庫県労働時報』(現在『労働研究』)創刊
  • 昭和27年10月
    機構の簡素化と再編成を実施。
    昭和24年夏以来の所員の減少に対応して、機構を庶務課、資料・調査課、研究室(労働法、労働科学、労働文化)、図書館とし、労働教育事業を廃止して、所長以下21名の体制となる。
  • 昭和29年7月
    県の機構改革にともない、兵庫県労働研究所に改組。
    労働部を廃止して商工労働部となったのにともない、研究所も独立の廨組織から「行政機構内の研究機関」となる。所長は商工労働部長の兼務、新たに次長制をしき、運営委員会を廃止する。
  • 昭和31年4月
    兵庫県立産業研究所を吸収合併、県庁内に移転。
    県財政再建策の一環として、社会科学関係の研究機関の整理が行われ、労働研究所は商工労働部所管の産業研究所を吸収合併して存続することになり、神戸市生田区(現中央区)下山手通4丁目の県庁内に移転した。しかし、機構は管理課、調査研究課の2課に縮小、所躍は旧産業研究所の5名を加えても19名に減少する。
  • 昭和34年7月
    兵庫県中小企業労使センター開館(業務の一部を労働研究所が担当)。
    戦前の労働運動で活躍した経歴を持つ阪本勝知事に対して、労・使・学識経験者のグループが、労働研究所を拡充強化して、総合的な機能を備えた新しいタイプの労働会館「労使センター」を設立することを建議していたが、神戸市生田区(現中央区)下山手通4丁目65に新会館が竣工、中小企業の労働問題の解決が急務とされた当時の情勢から、「中小企業労使センター」として開館した。
    労働研究所は、一部の所員がセンター兼務となり、調査研究および資料整備の業務を担当することになる。
  • 昭和36年3月
    『兵庫県労働運動史 戦前編』発行。
    阪本知事の呼びかけで昭和31年から始めていた労働運動史の編さんを、5年の歳月を経て『戦前編』として発行した。
  • 昭和36年5月
    労働研究所廃止、中小企業労使センターの労働調査室に改組。
    労政事務所の地区労使センターへの改組などを含む商工労働部の大幅な機構改革にともない、労働研究所は中小企業労使センターの労働調査室に改組、庶務課、診断指導室及び労働調査室で構成したセンターの中で、これまでの業務を継続するとともに、労使に対するサービス活動を強化することになった。
    旧労研所長が館長に就任、職員26名のうち労働調査室は室長以下7名である。
  • 昭和38年11月
    労働部労働調査室に改組。
    昭和41年に商工労働部が商工部と労働部に分離し、中小企業労使センターは商工部の所管となっていたが、中小企業労使センターの廃止にともない、労働調査室は労働部の本庁組織として、従来の調査研究業務を、より一層強く労働行政に反映させるため、課並みの室に改組される。なお、中小企業労使センターの廃止によってセンターの建物が県立労働会館と改称され、労働調査室は引き続き労働会館内に所在して、労使に対する情報・資料サービス提供活動をさらに拡充強化することになった。
  • 昭和45年3月
    『兵庫県賃金実態調査報告書』創刊
  • 昭和52年1月
    兵庫県中央労働センターに移転。
    県立神戸労働会館に代る新しい会館として兵庫県中央労働センターが、神戸市生田区(現中央区)下山手通6丁目に完成し、そこへ移転し現在に至る。労働研究所の開設から労働調査室に至る30年間にわたる資料情報活動の成果を全面的に展開するための最新の設備・機材を整備した。
  • 昭和53年11月
    『文献検索オンラインシステム』稼働。
    文献検索システムがオンラインで稼働することになる。当時としては最新で、新聞にも紹介され話題になった。
  • 昭和57年4月
    兵庫県労働経済研究所設立。
    経済情勢の急変、とくに労働力需給構造の変化にともなう新たな諸課題に対応するため、雇用問題に重点を置いて労働経済問題などの総合的な調査研究を行う機関として、労働調査室を廃止し、その業務を全て研究所に引き継ぎ発展的に労働経済研究所(地方機関)を設立する。
  • 昭和58年3月
    兵庫県労働運動史 戦後1 昭和20年代(上)』発行
  • 昭和59年3月
    『労働経済基本調査報告書』創刊。
    『兵庫県労働運動史 戦後2 昭和20年代(下)』発行
  • 昭和62年4月
    兵庫県立労働経済研究所に改称
  • 平成4年1月
    労働経済(賃金事情)データベースを兵庫県産業情報ネットワーク(HYOGO-NET)に構築し、同ネットの会員に提供する。
  • 平成5年3月
    『兵庫県労働運動史 戦後3 昭和30年代(上)』発行
  • 平成6年3月
    『兵庫県労働運動史 戦後4 昭和30年代(下)』発行
  • 平成8年4月
    LINC WAY(日本労働研究機構)、インターネットによる文献検索を始める。
  • 平成9年8月
    文献検索オンラインシステムを廃止して、図書管理システムを取り入れる。
  • 平成12年3月
    兵庫県立労働経済研究所閉所
  • 平成12年7月
    研究所の図書・資料を引き継ぐ形で、「ひょうご労働図書館」開館

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