この神戸時代にハーンは家族のため、日本に帰化することを決意しました。
そして1895年(明治28年)8月頃から長く複雑な帰化手続きが始まり、翌1896年(明治29年)1月、妻セツへの入夫願いが許可され、2月に小泉八雲入籍、また、長男・一雄も嫡出子となり帰化に伴うすべての手続きが終わりました。
ギリシャ生まれの小泉八雲( ラフカディオ・ハーン / 1850年-1904年 )は、1890年、アメリカの出版社の通信員として、横浜港に到着。
松江・熊本で教壇に立った後、1894年に神戸に転居し、兵庫県中央労働センターの敷地内に居を構え、英字新聞「神戸クロニクル」の記者として、活躍するとともに「心」「佛の畑の落穂」などを執筆しました。
1994年(平成6年)には、小泉八雲が神戸に住んでから、ちょうど100年の節目を記念し、中央労働センター玄関前の庭に記念碑が建てられました。 ここで、小泉八雲の神戸での足跡をご紹介します。
また、兵庫県中央労働センターのロビーと、ひょうご労働図書館内には「小泉八雲コーナー」をもうけています。
著書や関連本を多数所蔵し、資料なども展示していますので、ぜひご来館をお待ちしています。
この神戸時代にハーンは家族のため、日本に帰化することを決意しました。
そして1895年(明治28年)8月頃から長く複雑な帰化手続きが始まり、翌1896年(明治29年)1月、妻セツへの入夫願いが許可され、2月に小泉八雲入籍、また、長男・一雄も嫡出子となり帰化に伴うすべての手続きが終わりました。
1895年(明治28年)、第4回内国勧業博覧会が京都で開かれたとき、神戸市もこれに協力し、博覧会附属の施設として、神戸市兵庫区の和田岬の遊園地「和楽園」に「和田岬水族放養場」を開設し、ハーンも観覧しました。
1897年(明治30年)には、第2回大日本水産博覧会が神戸で開催され、神戸市は「和田岬水族放養場」を充実させ、本格的な水族館を開設しました(写真)。この「和田岬水族館」が日本最初の水族館と言われています。その後「楠公さんの水族館」(湊川神社の境内に設置)、「湊川水族館」、「須磨水族館」と変遷。1987年(昭和62年)に現在の「須磨海浜水族園」が開設されました。
栄町通1丁目7番地
It occurs to me,however,that if you are anxious to leave the service in which you are at present engaged you might have no objection to accepting a small salary in a treaty port for a few months,which would give you a better opportunity of looking round than where you are at present.
I therefore make this proposal.I will for six months pay one hundred dollars per month for your assiatance with the paper in literary and other ways,this to be on the distinct understanding that you are to have sufficient time to go on with your literary work for American and other periodicals.
(日本語訳)
しかし、貴殿が現在のお勤めをお止めになりたいと切にお望みならば、2、3ヶ月は条約による開港場で薄給をお受けになることにご反対はなさらないのかもしれません。
そうなされば、貴殿が現在いらっしゃる所よりは、周りを見回す、より良い機会を得られるだろうという考えが、私の心に浮かんで参りました。したがいまして、私は次のご提案を申し上げます。私は6ヶ月間貴殿が文学および他の面で、この新聞にお力添えをいただくことに対して、100ドルお支払いたしましょう。これは、貴殿がアメリカやその他の雑誌のためにお仕事をお続けになる十分な時間をお持ちになることを、はっきりと了解した上で行われるものでございます。
1894年(明治27年)10月 ハーン44歳
赤いレンガ色のビル(ダフネビル)付近。
2階が洋風で、1階が和風のつくり。
ハーンがかつて勤めていた島根県尋常中学校の教頭西田千太郎への手紙に書かれています。
We have a little house now,-foreign upstairs and Japanese downstairs.It is not very nice,but it will be very warm in winter,and by summer I hope Setsu will have a house of her own.
約:2階が洋風で、1階が和風です。それほど素敵な家ではありませんが、冬は大変暖かいでしょう。また夏までにはセツは自分自身の家を持つことを希望しています。
(出典:教育社ラフカディオ・ハーンの世界、(有)ワン・ライン)1895年(明治28年)7月 ハーン45歳
ひょうご労働図書館が設置されている兵庫県中央労働センター。
妻子のことを考え帰化の決心をします。
明治28年8月頃から始まった帰化の手続きは、明治29年1月までの期間を要しました。
1895年(明治28年)12月 ハーン45歳
この宇治川で八雲と一雄が楽しく遊んでいる姿が想像できそうです。
楠公社(現在の湊川神社)で甘酒を飲んだことや、お梅に連れられて海岸で遊んだ帰途、屋形船の玩具を買って貰ったことや、山手の異人館の前を流れる清い流へ笹船や潰れ壊れて不用になった張子の玩具を流したこと(略)
平成6年(1994年)、八雲が神戸に住んでから、ちょうど100年の節目を記念して、神戸との関わりを兵庫県中央労働センター玄関前に「小泉八雲旧居跡」として、碑にとどめました。
中央労働センターのロビーと、ひょうご労働図書館内には「小泉八雲コーナー」がございます。
ご興味をお持ちになられた方は、ぜひ一度お越しください。
NHK松江放送局では、「八雲紀行(ハーン紀行)」と題した番組がTV放映され、10月31日の第5回は神戸編でした。
兵庫県中央労働センターも、NHK松江放送局の取材のお手伝いをさせていただきました。
また、八雲ゆかりの地「琴ノ浦町おこしの会」のみなさまの八雲の足跡を訪れる旅「へるんツアー」で、八雲旧居跡モニュメントをご見学いただきました。
1891年には、松江の士族の娘・小泉セツと結婚し、新婚旅行をかねて鳥取県琴ノ浦町へ訪れ、旧中井旅館へ宿泊したといわれています。
NHK松江放送局のみなさま。「TUSUNAMI」と題した第5回八雲紀行神戸編は、津波を描いた感動的な物語であり「稲むらの火」の原作となった「生神様」を紹介。