ひょうご労働図書館では、ビジネス・労働関係の書籍・資料や雑誌等を多数所蔵しています。どなたでもお気軽にご利用ください。

小泉八雲と神戸

「耳なし芳一」「雪女」 などの怪談で知られる
明治の文豪 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)

ギリシャ生まれの小泉八雲( ラフカディオ・ハーン / 1850年-1904年 )は、1890年、アメリカの出版社の通信員として、横浜港に到着。
松江・熊本で教壇に立った後、1894年に神戸に転居し、兵庫県中央労働センターの敷地内に居を構え、英字新聞「神戸クロニクル」の記者として、活躍するとともに「心」「佛の畑の落穂」などを執筆しました。

1994年(平成6年)には、小泉八雲が神戸に住んでから、ちょうど100年の節目を記念し、中央労働センター玄関前の庭に記念碑が建てられました。 ここで、小泉八雲の神戸での足跡をご紹介します。

また、兵庫県中央労働センターのロビーと、ひょうご労働図書館内には「小泉八雲コーナー」をもうけています。
著書や関連本を多数所蔵し、資料なども展示していますので、ぜひご来館をお待ちしています。

小泉八雲コーナー
小泉八雲は、日本の精神文化や民俗、伝統を心から愛し、作品を通じて日本を広く世界に紹介しました。
小泉八雲コーナー
八雲と神戸の出会いは、後に兵庫県知事となった服部一三との交友にはじまります。 小泉八雲と改名したのも神戸時代です。
玄関前記念碑
八雲は明治27年(1894年)神戸に移り住み、当センター敷地内に居宅を構え、「心」、「佛の畑の落穂」などを執筆しました。
長男・一雄の七五三の祝い(1896年頃)
長男・一雄の七五三の祝い

この神戸時代にハーンは家族のため、日本に帰化することを決意しました。
そして1895年(明治28年)8月頃から長く複雑な帰化手続きが始まり、翌1896年(明治29年)1月、妻セツへの入夫願いが許可され、2月に小泉八雲入籍、また、長男・一雄も嫡出子となり帰化に伴うすべての手続きが終わりました。

ハーンも観覧した和田岬水族放養場
和田岬水族放養場

1895年(明治28年)、第4回内国勧業博覧会が京都で開かれたとき、神戸市もこれに協力し、博覧会附属の施設として、神戸市兵庫区の和田岬の遊園地「和楽園」に「和田岬水族放養場」を開設し、ハーンも観覧しました。

1897年(明治30年)には、第2回大日本水産博覧会が神戸で開催され、神戸市は「和田岬水族放養場」を充実させ、本格的な水族館を開設しました(写真)。この「和田岬水族館」が日本最初の水族館と言われています。その後「楠公さんの水族館」(湊川神社の境内に設置)、「湊川水族館」、「須磨水族館」と変遷。1987年(昭和62年)に現在の「須磨海浜水族園」が開設されました。

最初の神戸クロニクル社
最初の神戸クロニクル社

栄町通1丁目7番地

1894.9.11 神戸クロニクル社主のロバート・ヤングからハーンへ宛てた入社の誘いの手紙の一部

It occurs to me,however,that if you are anxious to leave the service in which you are at present engaged you might have no objection to accepting a small salary in a treaty port for a few months,which would give you a better opportunity of looking round than where you are at present.
I therefore make this proposal.I will for six months pay one hundred dollars per month for your assiatance with the paper in literary and other ways,this to be on the distinct understanding that you are to have sufficient time to go on with your literary work for American and other periodicals.

(日本語訳)

しかし、貴殿が現在のお勤めをお止めになりたいと切にお望みならば、2、3ヶ月は条約による開港場で薄給をお受けになることにご反対はなさらないのかもしれません。
そうなされば、貴殿が現在いらっしゃる所よりは、周りを見回す、より良い機会を得られるだろうという考えが、私の心に浮かんで参りました。したがいまして、私は次のご提案を申し上げます。私は6ヶ月間貴殿が文学および他の面で、この新聞にお力添えをいただくことに対して、100ドルお支払いたしましょう。これは、貴殿がアメリカやその他の雑誌のためにお仕事をお続けになる十分な時間をお持ちになることを、はっきりと了解した上で行われるものでございます。

(出典:教育社ラフカディオ・ハーンの世界、(有)ワン・ライン)

小泉八雲の住居跡

ハーン第一住居跡付近

ハーン第一住居跡付近
旧町名:下山手通4丁目7番地

1894年(明治27年)10月 ハーン44歳
赤いレンガ色のビル(ダフネビル)付近。
2階が洋風で、1階が和風のつくり。
ハーンがかつて勤めていた島根県尋常中学校の教頭西田千太郎への手紙に書かれています。

1894.10.23 ハーンから西田千太郎へ宛てた手紙の一部

We have a little house now,-foreign upstairs and Japanese downstairs.It is not very nice,but it will be very warm in winter,and by summer I hope Setsu will have a house of her own.

約:2階が洋風で、1階が和風です。それほど素敵な家ではありませんが、冬は大変暖かいでしょう。また夏までにはセツは自分自身の家を持つことを希望しています。

(出典:教育社ラフカディオ・ハーンの世界、(有)ワン・ライン)

ハーン第二住居跡付近

ハーン第二住居跡付近
旧町名:下山手通6丁目26番地

1895年(明治28年)7月 ハーン45歳
ひょうご労働図書館が設置されている兵庫県中央労働センター。
妻子のことを考え帰化の決心をします。
明治28年8月頃から始まった帰化の手続きは、明治29年1月までの期間を要しました。

ハーン第三住居跡付近

ハーン第三住居跡付近
旧町名:中山手通7丁目番外16番

1895年(明治28年)12月 ハーン45歳
この宇治川で八雲と一雄が楽しく遊んでいる姿が想像できそうです。

楠公社(現在の湊川神社)で甘酒を飲んだことや、お梅に連れられて海岸で遊んだ帰途、屋形船の玩具を買って貰ったことや、山手の異人館の前を流れる清い流へ笹船や潰れ壊れて不用になった張子の玩具を流したこと(略)

『小泉八雲 父「八雲」を憶う』小泉一雄著より

兵庫県中央労働センター玄関前記念碑

兵庫県中央労働センター玄関前記念碑

平成6年(1994年)、八雲が神戸に住んでから、ちょうど100年の節目を記念して、神戸との関わりを兵庫県中央労働センター玄関前に「小泉八雲旧居跡」として、碑にとどめました。

中央労働センターのロビーと、ひょうご労働図書館内には「小泉八雲コーナー」がございます。
ご興味をお持ちになられた方は、ぜひ一度お越しください。

廣部兵三(記念碑製作者)
廣部兵三
廣部兵三
経歴
  • 神戸市生まれ 1929年(昭和4年)- 2008年(平成20年)
  • 神戸二中(現:兵庫高校)卒業
  • 妹尾河童の同級生で「少年H」の欄問屋の息子で登場
  • 株式会社ヒロベを経営し、ネオンサインの入った看板や彫刻の技術を活かした模型などを作成
  • 1957/1958年(昭和32/33年)二紀会 彫刻部門で奨励賞受賞
  • 1961年(昭和36年)「神戸肉の但馬牛」須磨海浜公園
  • 1973/1975年(昭和48/50年)兵庫美術祭出品 兵庫県立美術館
  • 1991年(平成3年)「瀬戸内少年野球団」ウェルネスパーク五色
  • 1993年(平成5年)「今村基雄博士像」「陽と陰」五色県民健康村
  • 1994年(平成6年)「飛翔」兵庫県立総合体育館前
  • 1994年(平成6年)「小泉八雲旧居跡」兵庫県中央労働センター /「ともしびの賞」受賞

平成22年で生誕160年・来日120年

平成22年は、そんな八雲の生誕160年・来日120年にあたり、各地で記念式典やイベントなどが開催されました。

NHK松江放送局では、「八雲紀行(ハーン紀行)」と題した番組がTV放映され、10月31日の第5回は神戸編でした。

兵庫県中央労働センターも、NHK松江放送局の取材のお手伝いをさせていただきました。
また、八雲ゆかりの地「琴ノ浦町おこしの会」のみなさまの八雲の足跡を訪れる旅「へるんツアー」で、八雲旧居跡モニュメントをご見学いただきました。

1891年には、松江の士族の娘・小泉セツと結婚し、新婚旅行をかねて鳥取県琴ノ浦町へ訪れ、旧中井旅館へ宿泊したといわれています。

NHK松江放送局のみなさま。「TUSUNAMI」と題した第5回八雲紀行神戸編は、津波を描いた感動的な物語であり「稲むらの火」の原作となった「生神様」を紹介。

TOPへ